すでに持っている美しさに気づこう

2019年2月21日櫻井麻美
2019年2月21日2019年3月7日

私たちは、美しさを外に探し求めています。ですが、実はすでにそこに存在しているのです。その美しさに気づくために、私たちはどうしたらいいでしょうか?

外に追い求める美しさ

私たちは、美しいものを求めて、大体の場合外へ外へと関心を向けています。美しいものを見たい、美しいと思われたい。外へ向ける目線と、外から向けられる目線です。その目線で美しさを見た時、‘誰かに評価されるかどうか‘が基準になります。自分が対象を美しいと思う時、自分の中にある基準でその対象を評価しています。誰かに美しいと思われるかどうかは、誰かの基準で自分が美しいと評価されるかどうか、ということになります。その基準は往々にして作り上げられた価値観によるものです。

時とともに流行が移り変わるように、美しいと思われるものは変わります。人によっても好みが様々ですから、誰かが美しいといったものが他の人にも美しく感じるかどうかはわかりせん。つまり、美しさの基準がとてもあいまいで、移り変わっていくものなのです。そのあいまいな、作り上げられた基準にあてはるかどうかで美しさが決まってしまうのですから、美しいという評価を手に入れるためには、何を求めても十分に足りることはないでしょう。絶え間なくその基準は変わり続けていきます。すべての人に美しいと評価されるものなど、この世の中には存在しないのです。

すでにある‘美しさ‘に気づく

では、すでにそこにある‘美しさ‘とはなんでしょうか?

それはおそらく、今までに述べてきたような作られた価値観によって判断される、見た目のきれいさという意味の美しさとは違う意味です。壮大な自然を見た時にわき起こる感覚を、経験したことがある人も多いでしょう。その時の内からわき起こる感覚を思い出してみてください。私たちの持っている作られた基準にかかわらず存在している、自然と手を合わせたくなったり、頭を下げたくなる、対象への敬意のような感覚です。そこにある普遍的な‘美しさ‘を見出した時、その感覚を感じます。

壮大な自然だけがその対象ではありません。何か立派な行いをしている人や、道端に咲いている花にだって、その‘美しさ‘を感じることができます。命の力強さ、はかなさ、それぞれが連綿とつながり、続いて成り立っているこの世界。それを垣間見ることで、対象に対する敬意が内から浮かび、愛をもって‘美しい‘と感じることができるようになるのです。
そして私たちも、その世界に含まれています。目の前にいる相手や、自分自身にもその世界を垣間見ることができれば、すでにそこに存在している‘美しさ‘に気づくことができるでしょう。

ヨガでは、世界も自分も一つであると考えます。自然を見るときのような雄大な視点で、身近にあるものも眺めてみましょう。今までとは少し違った視点で対象を見ることで、誰かに評価されるためにある美しさではなく、そこに内からわき起こる‘美しさ‘を感じることができるかもしれません。その視点を持つことができれば、様々なものに対して愛と敬意をもって接することにもつながるでしょう。そしてその対象に、自分自身も含まれることを忘れないでください。