どこまでが私?ヨガで読み解く私とは

2018年12月6日櫻井麻美
2018年12月6日2018年12月6日

あなたは自分のことをどのくらいわかっていますか?わかっているつもりで、実は自分のことをよく理解していないことが多々あります。本当の私とはなんでしょう?ヨガで読み解く自分とは?

私たちは自分が何かを理解していない

自分を表す言葉は世界中たくさんあります。ただそれは的確に自分のことを表しているでしょうか?自分を表現するときに体を指さすかもしれません。では、体がなくなったら、自分は消え去ってしまうでしょうか?もし体を移植手術したらどこまでが私ですか?脳みそで考えているから脳みそが自分だと考えるとしたら、脳みそを取り替えたらその体は自分ではなくなりますか?名前や肩書はどうでしょう?名前や肩書が変わったら、その人ではなくなってしまうでしょうか?

自己紹介をするときなど、私たちは便宜的に自分を表す言葉を記号的に使っていますが、それは本質的な自分を指すものではないのです。本当の自分がどこまでなのかをしっかりとあらわす言葉ではないのです。変わらない自分を表すことができないのです。

私とは何かを理解するために…

ヨガでは“私”とは何かを追及していきます。ヴェーダの言葉も使いながら、自分を理解しようとする作業です。私たちは日常の中で、物事をそのまま見ていません。それはまるで色眼鏡をかけているように、自分の価値観の色に染まった眼鏡を通して、自分の解釈で世界を見ています。私たちは“私”という存在を勘違いして認識しているのです。この体や、この思考や、名前や、肩書が“私”ではないのです。もっと本質的な“私”をそのような記号で見えなくしているのです。

本当の“私”を理解するにはヴェーダの言葉が欠かせません。少しずつ、言葉を使って、瞑想を深めていくことで、本質的な“私”に少しずつ気づきます。それは、限定的な、この80年くらいで朽ち果ててしまう肉体や、脳みそや、肩書だけが“私”ではなく、すべてのものを包括している自分という気づきです。その気づきは、自分の捉え方を変え、日常の捉え方も変えるでしょう。小さいと思っていた自分の存在を、より大きなものに広げ、心地よい世界を知る手助けにもなるでしょう。でも、それは、何か特別な体験をすることではないのです。私たちがすでに体験していることに気づくだけの作業なのです。

ヨガの勉強をしていくと少しずつ自分の中の価値観が変わって、狭くなっていた視野が広がり、捉え方が変わってきます。それは自分が悩んでいたちっぽけな悩みが、本当にちっぽけなものなのだと気づかせてくれるものでもあります。ぜひ、ヨガの学びを楽しみましょう!