どんな私も慈しむ

yogaと難病とともに生きるという選択

2019年3月12日Kaori
2019年3月12日2019年3月12日

私がヨガを始めたのは12年ほど前。当時パティシエをしていた私は、職業柄肩凝りと腰痛が酷く、そのセルフケアとしてなんとなくヨガクラスに参加していました。

仕事が楽しくて仕方がなかった毎日でしたが、パティシエ8年目のある日突然、ME/CFS(筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群)を発症。完治は難しいとされています。前日まで普通に働いてyogaをして毎日ジョギングもしていたのに、その日を境にいろんなことができなくなりました。身体の痛みと泥のような激しい倦怠感で着替えをすることさえままならず、階段は四つん這いで昇り、座位も難しいためベッドの上から天井や窓の外を眺めるだけの生活になり、大好きな仕事も手放さざるを得ませんでした。

突然いろんなものを失ったことで焦りや喪失感に苛まれ、毎日泣いていた記憶があります。比較的調子の良い時に簡単なストレッチやベッドの上でもできるヨガを10分ほどやっては強い脱力感と痛みに襲われ、また何日も寝込むことがしばしば。体調コントロールの失敗を幾度となく繰り返してきました。そうやって自分に合った運動量を探ることが、ヨガを学び真剣に向き合うようになったきっかけです。

Yoga Nidraとの出会い

ヨガを学んでいく中で【ヨガニードラ】と出会い、仰臥位のまま呼吸を深め自分の身体に意識を向けることで、その日の体調を把握しやすくなり、「私にとっての快適」を選び取れるようになっていきました。ゼロからプラスになるよう鍛えること以前に、マイナスを少しでもゼロに近づけるための作業が必要なのだと。そしてその出会いは、病気になったことで失ったものへの執着心や喪失感をも少しずつ癒してくれた気がします。

健康で柔軟性のある人が美しくポーズをとることだけがヨガではありません。「呼吸さえできれば、それはヨガだ」が私の師からの教えです。今ここで呼吸をしているだけの私を存分に味わいながら呼吸のひとつひとつに丁寧に関わることで、凝り固まった心身が解けていくのを実感しています。

どんな状態でも美したったひとつの存在

今の自分を、ありのまま愛しむ。周囲と比べず、過去の自分とも比べず、善悪のジャッジメントもせず、今できることを重ねていく。残念ながら私は病気は克服できていませんが、たとえどんな状態でも、一人ひとりの存在そのものが既に美しく尊いのだと、病とyogaが私に教えてくれました。

マルチタスクの世の中です。働きものの身体を、ご自身を労り慈しみ、皆さまに優しく穏やかな時間が流れますように。