ヨガをする人は菜食でなければいけないの?

2018年7月16日櫻井麻美
2018年7月16日2018年7月16日

ヨガと食事は切っても切り離せない関係です。ヘルシーであるという観点からヨガをすると食事が変わる、ヨガをするからにはベジタリアン(菜食)でなければならないなどの意見もありますが、実際のところヨガと菜食はどのような関係性があるのでしょうか。

最初に必要なのは八支則の中にあるヤマ・ニヤマについて知ることです。ヨガのゴールにたどり着くまでの道しるべをわかりやすく表してあるのが八支則。その初めの段階にあるのが日常の心がけとしてやるべきこと・やるべきではないことが明らかにされているヤマ・ニヤマです。その中の一つに「アヒムサ」があります。「アヒムサ」とは「傷つけない」という意味です。自分も含め誰も傷つかないようにふるまうことが説かれています。菜食はこの「アヒムサ」と深くかかわっています。肉食をすることは動物を傷つけることになりますから、それを避け、菜食をするべきであると解釈されるのです。ただ、注意すべきなのは、これはルールではないということです。ヨガのライフスタイルは、自分も相手も、周りの環境すべてがより心地よく調和している状態を選ぶことでもあります。調和を選んだ結果としてのヤマ・ニヤマですからルールだからと言って我慢しながらやるのでは意味がありません。調和を目指した結果、自然と肉食を離れていくことがヨガの菜食です。

菜食についてはいろいろな意見があるのは事実です。命という意味では植物も同様で、どちらも命を奪うことに他ならない行為です。そもそも生きることはほかの命を取り込むことですから、私たちは否応なく何かの命を奪いながらでないと生きられないのです。それでも、できるだけ痛みの少ない、傷つける対象が少ない選択をするということで菜食が行われます。植物を傷つけるよりも、動物を傷つける方が痛みが多いから避けるべきだと考えられるのです。ただ、これはあくまでその人が自分の中で判断し選択することです。自分がより調和である選択をすることが目的なので、誰かに対してとやかく言うことは全くの見当違いです。さらに、菜食をすることで調和が生まれない場合もあります。住んでいる場所の問題で、植物が身近になく動物しか食料がない場合、菜食にこだわっていれば命にかかわります。また、身体的な問題を抱えていて、菜食をすることで動物性たんぱく質をとらないことによって体調悪化を招いてしまうことも、調和な状態とは言いかねます。菜食をしていても必要以上にお皿に盛ってたくさん残したり粗末にする場合と、肉食だけれども必要最低限の量だけを感謝しながら頂くのでは、どちらがより調和な選択でしょうか。菜食だからよくて、肉食だから駄目だ、などと単純に考えられるものではないのです。

肉食か、菜食かは個人の判断にゆだねられます。その判断基準は自分も周りもより調和であるかどうか、です。肉食がすべて不調和とも言い切れないし、菜食がすべて調和であるとも言い切れません。まず、私たちは食べ物を前にしてその命に思いをはせてみる必要があります。私たちは完全に誰も傷つけずに生きることはできません。それを理解した上で、目の前の命を大切に、ありがたく扱うこと。そして自分の体もよりよく保ちながらもできるだけ傷つけることの少ない選択肢を選ぶこと。それがヨガの食生活の目的です。結果として菜食になることもあるでしょう。ただしそれはその人がそのように選択していった結果です。自分で納得して選んでいくこと、そのプロセスこそが大切にすべきところなのです。

毎日口にする命について、改めて考えてみましょう。特別なことをするのがヨガではありません。身近な日常の行いからヨガのライフスタイルは始まります。